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夏休みにタイミングを合わせたように、再度のまん延してきたコロナ感染症。
なんなんだ?こんなにひどくなると楽しみにしていたものを削らざるを得ない。
むすこはともだちの家に泊まりに行く事を断念した。
帰省も断念。そもそも帰省はぼくが重荷です。
しかし、7月初旬の伊豆への移動教室に行けてよかった。
次は、少年サッカー団の合宿か?このままいくとこれは不味いな。
どうするんだろ?実行委員長!と会長(うちの妻)!
ご決断を!
色んな事情でワクチンを打てない子もいると思うんですが、最低でも要ワクチン接種とか制限を掛けるしかないかもしれないですね。
う~ん、、、、
それと、病床が足りなくて、脳卒中で救急搬送で何時間もたらい回しと言うニュースを小耳にします。
肝が冷えます。
正直言って、自分の脳梗塞が5月末でよかった。命拾いをしました。これが正に不幸中の幸い。
急性期は1分1秒を争うのに何時間もたらい回しってすごい。救急車の中で「t-PA」(血栓溶解薬)でもやっているのかな?でも、それは脳梗塞の場合で、脳出血だとそうはいかない。どうしてるんだろ。。。
それにしても、ぼくは時期的によかった?いや良い訳ない。
できることなら、こんな病気罹らない方がいい。
10日程の入院で病院退院して、自力のリハビリ程度で済んで、PCの前に座ってられるような人は、この病気に罹った人の3~4割と聞いて焦ります。
正直言って、片麻痺でまずい!このまま死ぬのか?と思ったのは当日の晩と翌日午後までぐらいなもの。これで済んだのは、関わってくれたみなさんと妻のおかげです。
2度とこんな病気になるもんかと気を引き締めて、病院の人たちに教えてもらったアドバイスを柱に、お医者さんたちのネット上の情報、エッセイ、料理本等を読み漁って対策するのであります。
病床
入院してた時のこと
ぼくが入院していた、2022年5月30日~6月8日(10日間)の頃は、COVID-19新規感染者が都内2000人程度の頃でした。
この頃は「もうマスク外そうぜ」と盛り上がりそうな時期でした。でも2000人って言っても、かなり多い数字だと思います。
とは言ってもその時のこと思うと1か月半後には新規感染者が10倍程度に膨れ上がるとは夢にも思いませんでした。
ぼくは、入院時に内科病棟にベッドがありましたので、同じフロアにCOVID-19の患者さんもいました。
そのCOVID-19の患者さんの部屋は常にドアが閉められていて、高齢の方ばかり男女関係なく一緒に入っていました。
多分、コロナだけでなく他の持病をお持ちの方ばかりでしょう。
看護師さんや介護福祉士さんらはその部屋に入る度にコロナ対策の作業服を上から着て、手袋、ゴーグル、マスクもそれ用のものを着て物々しい格好で入室していくところを何度も見かけました。
みなさんすごい装備の割にはいつもと変わらない対応で「〇〇さーん、お食事食べれた??」とか声掛けしてました。その部屋の前で装備中の看護師が、トイレに行くぼくの顔を見て「お!歩けるようになったじゃないですか~」と至って普通に対応してくれて、全て平等に見てくれててこの人たちはお仕事とは言え、すごい人たちだな~と何度も思いました。
病室の事
ぼくは、6人部屋に居ましたが、密を防ぐためか満床にはしていませんでした。
ぼくの隣のベッドは常に空きにしていて、マットなどが積みあがっていたので使用するつもりはないのでしょう。
向かいのベッドも同じ。
6人部屋ですが、事実上4人部屋になっていました。
看護師さんに聞いて見ると、4人部屋は2人部屋にしていたらしい。
従って、この内科病棟では、コロナが下火と思われていた時期でも用意されている病床の稼働は6割程度な訳です。
そこへ持って、こんなに急な感染爆発となると病院側も重症患者受け入れのコロナ用病床を用意する運用に困るのは当然なんだろうなと思います。
他の病院や全国的にどうなんだと言う事はわかりませんが、ぼくの下手な皮算用をしてみてもそんな事が想像できます。
それに、病床が空いて入ればいいってもんじゃないし。。。診るのは人だし。。。
まとめ
2月の感染者急増の時は「こりゃ、交通事故になったらやばいぞ」とむすこにも注意をしていましたが、それに加えて今回は自分も「生活習慣」からくる病にも気を付けないといけない、2重3重の注意が必要になりました。
食物アレルギーがあってワクチン接種が心配なむすこでしたが、自分から「ワクチン打つ」と言ってくれてお医者殿も「OK」を出してくれて幸いにも副反応も何も無くワクチンを打つことができました。
それに釣られてむすめも「あたちもおにいちゃんと行く」と言って注射打ってくれました。
ワクチンについてはそんなことですが、それと手洗いやマスク等基本的な事をしっかりさせて、しばらくは慎重にいこうと思います。
これで罹ったらそれはそれだ。
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